こんにちは、よたろうです。
今回は伊勢原市の岡崎城址(無量寺)、および平塚市にある岡崎四郎義実像と岡崎四郎義實公の墓を紹介します。
データ
【岡崎四郎義実像】
- 名称:岡崎四郎義実像
- 訪問日:令和5年1月29日
【岡崎四郎義實公の墓】
- 名称:岡崎四郎義實公の墓
- 令和5年1月29日
「悪四郎」と呼ばれた岡崎義実の居城跡
無量寺は、三浦義明の弟で「悪四郎」と呼ばれた勇将・岡崎義実によって築城された岡崎城が、後北条氏の祖・北条早雲の猛攻によって落城し、その本丸跡に建てられた寺院です。
治承4年(1180年)に平氏打倒のための源頼朝の挙兵に参陣した際、岡崎義実はすでに69歳でしたが、石橋山の戦いに敗れて真鶴の浜から安房国へと海路を逃れたときも頼朝と行動を共にし、また、奥州征伐や二度の頼朝の上洛にも付き従うなど、重要な御家人の一人として活躍しました。
なお、この岡崎城址(無量寺)があるのは神奈川県伊勢原市の「岡崎」という地域ですが、ここは平塚市との市境でほんの数十メートル先は平塚市になります。
そして、この平塚市側の地域も「岡崎」といい、この岡崎という地名は伊勢原市と平塚市とに跨っています。昭和31年(1956年)に伊勢原市と平塚市に別れてしまいまいしたが、元々は岡崎義実が源頼朝に安堵された「岡崎」という一つの領地なんですよね。
公民館の敷地内に佇む老将の銅像
その平塚市のほうの岡崎の、岡崎公民館の敷地内には岡崎義実の銅像があります。
「雄々しい武者像」という感じではありませんが、酸いも甘いも嚙み分けた老将の味わい深い銅像です。
遥かに富士山を望む雑木林の中にある墓所
鎌倉幕府においてはとくに要職に就くこともなく、建久4年(1193年)には老衰を理由に出家した岡崎義実は、正治2年(1200年)、前年(建久10年(1199年))に亡くなった主君・源頼朝の後を追うようにして89歳でこの世を去ります。
恥ずかしながら私は大河ドラマを見るまで岡崎義実という武将のことを知らなかったんですが、大学時代の友人が平塚市のほうの岡崎に住んでいたこともあって「岡崎」という地名は知っていました。
まだまだ、由来を知らないだけで『実は「鎌倉殿の13人」に登場した人物にゆかりの地名だった』なんて場所は少なくないような気がしています。
アクセス
【岡崎城址(無量寺)】
神奈川県伊勢原市岡崎5410
「城所」バス停から徒歩約10分
駐車場なし
【岡崎四郎義実像】
神奈川県平塚市岡崎3634
「岡崎農協前」バス停から徒歩約2分
駐車場あり
【岡崎四郎義實公の墓】
神奈川県平塚市岡崎
「岡崎福祉館前」バス停から徒歩約10分
駐車場なし